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光栄菊(こうえいぎく)│光栄菊酒造
光栄菊酒造 Koueigiku syuzo
所在地:佐賀県小城市三日月町織島2602-3
創業:2019年
代表銘柄:光栄菊 Koueigiku
数々の奇跡的な出会いが復活させた、佐賀の銘酒「光栄菊」
2006年に惜しくも廃業した佐賀の酒蔵「光栄菊」が、約20年ぶりに復活。
復活の立役者となったのは、2人のテレビマンと、「菊鷹」の杜氏でした。
光栄菊復活の背景には、一体どんなドラマがあったのでしょう。
元テレビマンと「菊鷹」の杜氏のな出会い
現光栄菊社長の日下さんと取締役の田下さんの出会いはNHKのテレビ番組制作でした。
日本酒をテーマにした番組制作を行う中で、田下さんは酒造りに強い感心を示し、あわせて日下さんも「傍観者としてただ報道するのではなく、自分たちで酒造りをしたい」という思いを持つように。そこから日下さんは長野県の酒蔵で修行を始めました。
そんな中、とある日本酒との出会いが2人の運命を大きく変えたのです。
その日本酒とは、藤市酒造(愛知県)の「菊鷹」でした。
多くの蔵人たちも「まったく欠点が見当たらない」と褒めるほどの「菊鷹」の完成度の高さに衝撃を覚えた日下さんは、「菊鷹」に惚れ込み、「こんな酒を造る杜氏と一緒に酒造りがしたい」という思いを募らせます。
その杜氏とは、光栄菊復活の立役者の1人となる山本さんです。
山本さんは滋賀で能登杜氏、大阪で南部杜氏のもとで酒造りを学びながら独自の技術を磨き、2004年には“責任仕込み”の「山本スペシャル」をリリース、藤市酒造に杜氏として移籍し販売した「菊鷹」は瞬く間に評判を呼ぶなど、熱狂的なファンも多く、日本酒好きの中で「酸のある味わいのしっかりとした酒を醸す杜氏」として知られる存在でした。
そんな知る人ぞ知る伝説の山本杜氏と2人の出会いが、「光栄菊」復活の第一歩となったのです。
廃業していた佐賀の酒蔵「光栄菊酒造」との出会い
奇跡的な出会いを果たした3人は酒造りを始めようとしますが、日本酒の免許を新しく取得するのは困難であるため、廃業してる酒蔵や休眠している酒蔵を探すもののなかなかうまくいかず、具体的な計画は思うように動きませんでした。
そのような中、20年ほど前に酒造りを断念し廃業した光栄菊酒造の蔵が使われずに残っているという情報が耳に入り、さっそく佐賀へ足を運びました。
そこで見た光栄菊酒造の蔵は造りもしっかりとしており、改修すれば使えることが判明。関係者と条件面でも合意し蔵の工事を開始することになりました。
あわせて山本さんも藤市酒造を離れ、新しく光栄菊酒造に移籍を果たし、2019年12月にやっとの思いで光栄菊での酒造りが本格的にスタートしたのです。
酒質は、山本杜氏が得意とする「酸と旨味があり、最後に口の中ですっと切れる、食事に合う酒」に決定。
銘柄名は、旧光栄菊と同じ場所で酒造りをするなら復活というイメージが強いだろうし、地元に愛された酒をもう一度飲んでくださいとアピールしたいと考え、「光栄菊」の名前を継承することに。
また、「菊鷹」の菊つながりというのも理由のひとつでした。
豪雨被害を乗り越え、大反響を呼んだ新生「光栄菊」
初めて使う水に、初めて使う酒米、設備や機械もすべてが初めてであったため、試験醸造を重ねていく手筈だったのですが、
2019年8月末に起きた九州北部を襲った豪雨被害によりそれが叶わず、ぶっつけ本番で新酒第一号を出すことになります。
完璧な酒を造る山本杜氏であっても「絞るまで不安で胃が痛かった」と語るほど設立当初は不安がいっぱいの状況でした。
しかし、期待を裏切ることなく、できあがった新酒第一号と第二号はあっという間に完売。
その後も「山本杜氏の酒なら」と「菊鷹」のお酒を取り扱っていた酒販店の多くが、最初から特約店に加わり、また、お酒を味わった多くの酒販店が関心を示すなど、販売直後からかなりの反響を呼び、新「光栄菊」は瞬く間に人気銘柄となったのです。
このように、奇跡的な出会いが生み、困難を乗り越えて復活した「光栄菊」。
非の打ちどころがなく完璧な味わいをぜひ味わってみてください。
光栄菊(こうえいぎく)│光栄菊酒造
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